そのデータの収集・利用は何のため?
心拍数、体温、呼気の湿度――。身につけたウェアラブルデバイスなどを介してさまざまな身体の情報が手軽に可視化できる時代になりました。
さらに、尿などの排泄物に含まれる物質から健康状態を把握するスマートトイレの研究が米スタンフォード大学などで進められているそうです。用を済ませた後、がんを見分けられる物質(バイオマーカー)などの分析結果が短時間で可視化されると病気の早期発見、早期治療につながりQoLの向上、ひいては社会全体の医療費削減にも好影響がありそうです。
心身の状態をグラフなどで日々チェックができると健康管理への意識は高まります。プライバシーをきちんと確保したうえですが、かかりつけ医や離れたところにいる家族とデータを共有すれば見守る側も安心です。
さて、企業でもさまざまなデータを収集・分析・活用するIoT(Internet of Things)やAIの導入が盛んになっています。もとよりERPシステム(経営資源計画システムや統合業務パッケージと呼ばれます)を導入し、全社の基幹データの一元把握に取り組んでいる企業も数多くあるでしょう。
手段はさまざまですが集められたデータは、組織に利益をもたらすためのものでなければなりません。自社内での活用だけでなく、サプライチェーンで連携される企業間でデータを活用すればWin-Winの関係構築にも役立ちます。
とはいえ、単に新たなテクノロジーを導入しデジタル化しただけでは、よい関係の構築や利益の増加は見込めません。昨今はDX(Digital Transformation)が話題ですが進めるにあたってどのような点に気をつけるとよいのでしょうか。そのヒントはエリヤフ・ゴールドラット博士の指摘にあります。
新たなテクノロジーを導入してもルールが古いままだと?
コンピューターシステムやインターネット/ウェブといったテクノロジーは、従来人間が行っていたデータの入力、処理、出力というそれぞれのプロセスを大きく効率化するパワーを有しています。ドローンやロボットなどの技術もそれぞれ得意とする領域で力を発揮します。
エリヤフ・ゴールドラット博士は、新たなテクノロジーのもつこうしたパワーが組織の活性化や利益などのパフォーマンス向上のための手段と位置付けていました。
利益を増やすためには、①スループット(T:Throughput)を増やす、②投資(I:Investment)を減らす、③業務費用(OE:Operating Expense)を減らす、という3つの方法があります。
ではどのように組織の活性化や利益に結びつけるのでしょうか。博士は著書「チェンジ・ザ・ルール」(ダイヤモンド社、2002年10月初版)の中でそのアプローチを解き明かします。本書は日本では「ザ・ゴール」「ザ・ゴール2」に続く著作として知られ、テーマは情報システムへの投資です。
ご存知の方もいるかもしれませんが、簡単にそのあらすじを振り返りましょう。
同書は、大企業への導入が一巡して市場が飽和したERPソフトウェアの開発ベンダー(BGソフト)および同社から独立しBGソフトのERP製品を担ぐシステムインテグレーター(KPIソリューションズ)への批判的な描写から始まります。
BGソフトが開発するERP製品は企業の各部署の活動をデータとして入力することで企業全体の活動状況を一元把握できるシステムです。在庫状況などが速やかにわかるので販売状況と照合しながらの在庫削減などに寄与します。しかし、テクノロジー企業を標榜するKPIソリューションズは、顧客企業の真の利益をあまり顧みずにERPの会計系や生産系などのモジュールを次々ユーザーに販売。逆に顧客システムの複雑化、バグの多発を招き、開発部門の疲弊や売上減少に頭を抱えていました。同時にERPシステムのユーザーである顧客の多くも不満を持っていました。会社の利益に対するテクノロジーの明確な貢献が認められなかったためです。
BGソフトとKPIソリューションズは藁にもすがる思いで、同社ERP製品ユーザーで業績を伸ばす企業(スタイン・インダストリーズ社)に依頼しヒアリングの機会を得ます。同社はTOCにもとづく生産プロセス改革に取り組んでいました。ボトルネックを基準に仕掛品や製品を作りすぎないことで全体のスループットを高める生産工程へと変貌を遂げていたのです。スタイン・インダストリーズ社はそうした自社の生産状況の可視化・把握にBGソフトのERP製品を活用することで、市場での高い成長率を実現していました。
一方、BGソフトのERPモジュールの新たな導入を検討する企業(ピエルコ社)は「新しいテクノロジーを導入することで利益は上がるのか」とKPIソリューションズを問い詰めます。これに対してKPIソリューションズの幹部はスタイン・インダストリーズ社へのヒアリング結果を踏まえて自社のミッションは「テクノロジーの提供ではなくバリューの提供にある」と認識を改め、次のような利益面に資する提案をします。
ERPによる企業情報の可視化に伴い、インボイスの作成ミス削減による売掛金の早期回収(T)、納期遵守率の向上による売上増加(T)、在庫減少による在庫維持コストの削減(I)、購買活動の統合による原材料コストの削減(I)などです。
ただし、テクノロジーは「人減らしの道具」とはしない、としました。つまり人件費削減(OE)のためのものではないとKPIソリューションズはテクノロジーを位置付けたのです。人件費削減をちらつかせれば解雇不安を抱える従業員はテクノロジー(この場合ERP)導入に反対するからです。
ところがピエルコ社がいざERPを導入してみると在庫は期待したほど減少しませんでした。実は、並行してTOCコンサルタントが行っていたTOCによる業務改革により工場の生産性が大きく高まっていたことが主因でした。既存の業務ルールを変えないまま、生産能力が高まったために在庫過多が生じていたのです。そこで倉庫側が在庫の目標レベルを半減させると逆に今度は欠品が生じ始めました。問題の本質はそもそもの在庫の目標レベルが市況と乖離していたことでした。
この状況を認識したピエルコ社の上層部はBGソフトやKPIソリューションズと協議し、次のような業務ルールの見直しを受け入れます。
- 倉庫には販売で売れた分だけ工場から製品を補充する
- 工場における「売上計上タイミング」は工場から倉庫に製品を出荷したときではなく、本当に必要とする倉庫に出荷した場合のみ、とする
- 製品在庫を工場の中に置く(倉庫で商品をだぶつかせない)
- 販売予想は天気予報と同じで当てにならないので重視しすぎない
これらの新たな約束事(ルール、契約)を関係者の間の責任と権限という視点で整理し直してみるとどうなるでしょう。あくまで一例ですが次のような感じになるかもしれません。
[見直し前]
| 責任 | 権限 | |
| 本社 | 販売予想を立てる | 倉庫の在庫レベルを決定する |
| 工場 | 倉庫側の要求に基づいて出荷する | 生産量を決める |
| 倉庫 | 社内ルールで決められた在庫レベルを維持する | 特になし |
[見直し後]
| 責任 | 権限 | |
| 本社 | 工場と倉庫に市場動向やマーケティングキャンペーン情報を提供する | 工場、倉庫に対してそれぞれの評価尺度にもとづく成果を要求する |
| 工場 | TDDに基づく成果を達成する | 工場の在庫レベルを決定する |
| 倉庫 | IDDに基づく成果を達成する | 販売された分に相当する分の在庫のみ受け入れればよい(断る権限がある) |
TDDというのは、Throughput-Dollar-Daysの略で、本書の文脈でいうと工場から倉庫への出荷が遅れることでの損失と、遅れた日数を乗じたものです。これをゼロにするのが工場にとっては理想というわけです。
IDDは、Inventory-Dollar-Daysの略で同様に在庫がどのくらいの速さで動いているかを示す指標です。これをなるべく少なくすることが倉庫のミッションになります。
ユーザーとベンダーは共に成長するパートナー
この物語は実務に役立つ数多くの示唆に富みますが、新たなテクノロジーの活用に関してあえて次の3つのみ指摘したいと思います。
1)テクノロジーによる現場の可視化
組織のルールを改定する前提として、ユーザー企業が新たなテクノロジー(本書ではERP)を導入・運用していたことにより工場の生産性や在庫の状況などがすでに可視化されていた、という状況があります。うまくERPが機能していた、という点でテクノロジーの持つ真価が発揮されていたといえるでしょう。ただ、それだけでは十分ではないという点に注意が必要です(ちなみに本書の原題は「Necessary But Not Sufficient」。必要だが十分ではない、です)。新たなテクノロジーとは今日ではIoTやAI、ロボットそれらを用いたDXなどと言い換えてもよいでしょう。
2)テクノロジーに合わせた業務のルールやプロセスの見直し
ストーリーでは、当初の計画と異なり在庫が過剰になった、あるいは不足した、という想定外の事態が起きています。さすがのTOCコンサルタントもそこまで見通せなかったのかもしれません。ただ、想定外の事態の発生それ自体が問題なのではなく、より重要なのは新たな状況に応じて柔軟にルールを見直す計画を立て、それを実行に移していることです。これが2点目のポイントです。望ましくない結果に基づいて、改善策を仮説として検証し、その結果に基づいて必要に応じて次の施策を講じる。これを繰り返していくことで業績をよりよくしていくことが重要です。なぜ仮説検証と実践の継続が必要か、というと、企業活動における「制約」はいつも一定の場所にとどまるとは限らないからです。TOCの考え方にもとづく生産プロセス革新やITの導入によって制約の存在する位置は移り変わる可能性があります。現状に合わせた対応をし続けることが利益に結びつきます。
3)ユーザーとベンダーは目標を共有するパートナー
そして3点目がユーザーとベンダー(システムインテグレーター)が同じベクトルを向くことです。両者はともすれば対立しがちで、要求したシステムが納期の中で完成しなかった賠償責任を追求する訴訟にまで事態がこじれるケースが後を絶ちません。しかし本来、両者は利害が対立する関係なのでしょうか。綱引きをするのではなく二人三脚で互いに利益を得て成長するという同じ目標に向かうパートナーであるはずです。
このような関係は組織内における情報システム部門と業務部門でもまったく同様に当てはまります。
ルールや慣行はどう見直せばいい?
エリヤフ・ゴールドラット博士は、新しいテクノロジーを導入する際、次の6つの質問を投げかけました。
- そのテクノロジーの主なパワーは何ですか?
- それはどのような制限を減らしますか?
- その制限に対応するのに役立っていたルールは何ですか?
- 今、どのようなルールを用いる必要がありますか?
- 新しいルールでは、そのテクノロジーの使用方法を変える必要がありますか?
- どのように変化を起こしますか?
このうち、3番目に記された、従前の制限に対応するのに役立っていた古いルールとは、たとえばどのようなものでしょうか。
ボトルネックが後工程にある製造業の場合では、前工程のメンバーが額に汗して、または設備をフル稼働して生産活動を進めれば進めるほど、トータルでみると全体のスループットは低下します。それを避けるために前工程は後工程と協調する形で手を休めなければなりません。同時にボトルネックとなるところに、時間や人材などのリソースを厚めに振り分け、仕事を支えていく必要があります。
しかしこのメーカーの工場における人事評価制度における評価基準が、たとえば「1人の労働者の時間当たりの生産量」となっている場合、待機している時間は生産性の低下とみなされがちです。「ムダな要員だと思われれば自分は解雇されるかもしれない」という不安や恐れから、ますます手を休めようとしないのが働く人の本心ではないでしょうか。
仕事のプロセスやルールを見直す際には、人事評価の軸も時間当たりの生産量ではなく、全体のスループットを考慮して変えることが不可欠です。つまり部署を超えたルールや慣行、責任と権限のあり方をセットで変えていくーー。そのためにはトップを含めた組織全体の意識の改革と合意形成が重要です。まさに本書(日本語版)のタイトル「チェンジ・ザ・ルール」なのです。
本書の原著(初版)は2000年に発行されました。当時先進的だったERPシステムはすでに目新しいものではないですが、本文に登場する「ERP」を「DX」などに読み換えてみると、20年以上経った今でも変わらず訴えてくるものがあります。特にテクノロジーを売りにしている企業の方には読んでいただきたい名著です。
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